第8話「比叡山と判断フロー 〜燃やすは情、残すはログ〜」

天下布武のDX戦略

冒頭:AIは情を持たぬ。だからこそ、戦に向いておる

――織田信長、令和の企業にて「判断基準が属人化してます」と耳にする。

ワシ:「ふむ。つまり“誰が決めるか”によって、結果が変わるのじゃな?」

部下:「はい…A課長だとOKで、B課長だとNGでして…」
部下:「しかも毎回、過去の判断は記録されておらず…」
部下:「なので、また同じことを訊かれて…」

これは戦国にて申せば――
“昨日は通れた関所が、今日は通れぬ”という無法の世と同じ。

第壱章:“情で回る組織”の不安定さ

今の世に多いのは、こんな判断の姿じゃ。

  • 「上司の機嫌」で結論が変わる
  • 「なんとなく通った案件」が、あとで火を噴く
  • 判断基準が暗黙の了解、しかも毎回ズレる
  • ログがなく、「誰がいつ何を決めたか」が霧の中

これでは、部下は思考停止。組織は再現性を失う。

まさに、**“感情ドリブン自治領”**じゃ。

第弐章:比叡山焼き討ちと、非情の決断

信長とて、情がなかったわけではない。
じゃが、あのとき――延暦寺(比叡山)が敵に通じ、足軽まで討たれた。

僧兵が兵糧を断ち、通行を拒み、密書を運ぶ。
寺であっても、戦場に身を投じた時点で、それは敵と見なす。

「比叡山は焼く。法ではなく、兵として見よ。」

そう決めたのは、“感情”ではなく、“条件”による判断じゃ。

  • 敵に通じれば、排除
  • 兵糧を断てば、討伐
  • 再発を防ぐには、記録と見せしめが要る

非情に見えて、そこには 明確な判断フローと、再現性 があったのだ。

第参章:AIと“決断の型”をつくれ

今の時代、AIは“非情の器”である。
だが、それが良い。

  • 一貫性を保ち
  • 感情に左右されず
  • 「過去の判断ログ」も残す

これこそ、組織に必要な**“焼き討ちの精神”**ではないか。

「誰が決めるか」ではなく、
「どう決めるか」こそ、天下布武の要なり。

あとがき:人の情は、指針にはならぬ。フローに従う組織が勝つ。

情に厚き者が、良き主とは限らぬ。
部下の顔色を見て決断を曲げる者は、ただの八方美人よ。

「情で回すな。情を受け入れぬ仕組みを、情のある者が作るのじゃ。」

AIを使うとは、
感情を捨てることではない。
“人が判断しなくても済む局面を増やす”ことなのじゃ。

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