冒頭:報告ばかりの軍は、動かぬ
――織田信長、令和の企業にて「週次進捗会議」に呼ばれる。
ワシ:「ほう……今日で三度目の“進捗会議”と申すか」
部下:「はい、いまのところ“まだ準備中”でして…」
部下:「課題を洗い出しているところで…」
部下:「また来週、報告のご予定です…」
ワシ:「それは、“報告を積み重ねて敗北に近づいておる”のではないか?」
これは戦国で言えば――
**「兵が毎日進軍報告をするが、一歩も前に進んでおらぬ」**ということよ。
第壱章:“進捗報告文化”という虚無
いまの世では、報告・連絡・相談――いわゆる「報連相」が重んじられておるそうじゃ。
- 会議で「現状整理」をし、
- Slackで「念のため報告」を流し、
- 日報で「とくに進捗なし」と書く。
……で、結局「何も進んでおらぬ」。
それはもはや“進捗の管理”ではない。
**“進捗していないことの様式美”**じゃ。
ワシは問う。
「戦場にて、“まだ刀を抜いておりませぬ”と報告する兵に、誰が希望を託すか?」
第弐章:家康と、沈黙の仕事術
徳川家康――無口で臆病。
戦においても、「まだ…まだ動かぬ…」と口数少なし。
だが、奴は恐るべき“タスク処理者”じゃった。
- 無駄な会議はせぬ。
- 日報もなく、愚痴もなく、
- ただ淡々と、“勝てる布陣”を整え続けた。
小牧長久手、関ヶ原、江戸幕府――
どれも派手さはない。だが、タスクの完了率100%。
「報告せずとも、結果を出す」
それが奴の真骨頂よ。
第参章:タスクは、“進める”もの。報告のためにあるのではない。
タスク管理とは、あくまで“達成”のためにある。
報告のために、タスクを分け、集計し、整理する……それは本末転倒じゃ。
令和の組織に申すならば:
- 進捗会議は、週1でよい。必要な者だけで行え。
- 日報は3行で足れ。「今、何をしてるか」だけでよい。
- 管理職は、「やったかどうか」ではなく「やるための障害」を見よ。
そして、こう定めよ:
「進捗しておらぬ者は、報告する資格すらなし。」
あとがき:報告とは、“結果の証”であって、“過程の言い訳”ではない。
ワシのもとで働く者は、結果を出してから報告しておった。
- 「やってみました」
- 「こう変えました」
- 「勝てました」
それで、すべて足りる。
「進捗に“苦しみ”を見せるな。
勝った者が語れ。負けた者は、次を急げ。」